三鷹跨線橋、ついに姿なくなるフォトXFacebookLINE2025.07.182025.07.19昨年から解体工事が進んでいた三鷹跨線橋。ついに解体工事が終わり、その姿がなくなってしまいました。↓武蔵野市側の解体前後の写真2022年3月撮影2025年3月撮影2025年7月撮影2025年7月撮影↓三鷹市側の解体前後2024年6月撮影三鷹市側の階段の一部分が残存。おそらくこの橋桁と階段の一部が三鷹市にて保存されるのかと思われます。 コメント名前:匿名 :投稿日: ID:==20年前、武蔵境に来てからというもの、用事もなく、何度も訪れました。 今、武蔵境から引っ越す時が来て、跨線橋が無くなった事とは偶然ですが、重なった気がして感慨が湧きます。 返信名前:匿名 :投稿日: ID:==電車好きな子どもを連れて行った場所。 「電車が来るね」と手を振って見ていると、警笛を『ファァ~ン』と鳴らしてくれる運転手さんもいました。 そんな時は子どもが大喜びしてずうぅ~っと電車に手を振っていましたよ。 返信名前:匿名 :投稿日: ID:==生まれも育ちも三鷹民。特に理由もなく立ち寄ったりしたなぁとしみじみと思い出す 返信名前:匿名 :投稿日: ID:==三鷹に引っ越してきたのは半世紀前。できた友人に連れられてこの跨線橋にやってきた。目的はトリオ商会という模型店。そして跨線橋からは特急あずさや急行アルプス、貨物列車を見るのが通例だった。 また一つ、記憶にあるものが消えていったのだな。 返信名前:匿名 :投稿日: ID:==高校生のころ、友達と元旦に 高尾山に行った帰り、橋の上から中央線をしばらく眺めていた時を思い出します。 青春の思い出、感慨深いです、 返信
コメント
20年前、武蔵境に来てからというもの、用事もなく、何度も訪れました。
今、武蔵境から引っ越す時が来て、跨線橋が無くなった事とは偶然ですが、重なった気がして感慨が湧きます。
電車好きな子どもを連れて行った場所。
「電車が来るね」と手を振って見ていると、警笛を『ファァ~ン』と鳴らしてくれる運転手さんもいました。
そんな時は子どもが大喜びしてずうぅ~っと電車に手を振っていましたよ。
生まれも育ちも三鷹民。特に理由もなく立ち寄ったりしたなぁとしみじみと思い出す
三鷹に引っ越してきたのは半世紀前。できた友人に連れられてこの跨線橋にやってきた。目的はトリオ商会という模型店。そして跨線橋からは特急あずさや急行アルプス、貨物列車を見るのが通例だった。
また一つ、記憶にあるものが消えていったのだな。
高校生のころ、友達と元旦に
高尾山に行った帰り、橋の上から中央線をしばらく眺めていた時を思い出します。
青春の思い出、感慨深いです、