【2023.9.21】跨線橋解体工事着手へ
【2022.2.12】跨線橋解体工事着手へ
三鷹にある“撮り鉄スポット”として有名な「三鷹跨線人道橋(以下:跨線橋)」
太宰治も愛したとされる「跨線橋」の解体・撤去方針が決定した、という悲しいニュースが入ってきました。
「跨線橋」の歴史 地元民に愛された橋
1929年(昭和4年)、人の往来を確保する目的のもと、中央線と三鷹車両センターを南北に横断するように建設されたのがこの「跨線橋」。(全長93m、幅2.89m)当時この辺りは、周囲は田畑や民家ばかり。現在のような高層マンションなどももちろんなく、「跨線橋」からの見晴らしは抜群だったそう。
文豪・太宰治も愛した橋
1939年(昭和14年)に三鷹へ転居してきた文豪・太宰治も愛した橋として有名で、太宰治のゆかりスポットにもなっています。かなりお気に入りだったようで、よく知人を案内していたみたいですよ。もちろん太宰だけでなく、地元の人々にも「陸橋」の愛称で親しまれ、昔からお散歩コースとしてよく使われていました。
有名な“撮り鉄スポット”
現在も昭和の面影を残し続ける「跨線橋」は、お散歩コースや黄昏スポットとして今も地元の人々に愛され続けています。また「跨線橋」からは、中央線と東西線の車両を同時に見学できるため、“撮り鉄スポット”としても人気を博しています。
「跨線橋」の存廃を巡るやりとり
地元の人々や鉄道ファンに長きにわたって愛され続けている「跨線橋」ですが、その存廃を巡っては、約3年前からJR東日本と三鷹市の間で水面下でやりとりが行われていました。
深刻な老朽化と維持コストの問題
1929年に建てられ、今年で建設92年となる「跨線橋」。やはり深刻な老朽化や耐震強度の問題もあり、このまま維持するには大きなコストがかかると判断したJR東日本は、三鷹市に『跨線橋の無償譲渡』を提案。
今年1月、その提案に対し三鷹市は「譲渡の受け入れは困難」と返答した上で、どうにか現状のまま存続する方法がないか模索を重ねていました。
跨線橋の解体・撤去方針が決定
しかし今年6月、再度JR東日本より『跨線橋を撤去する』という見解が示され、市側もこの判断を受け入れると決定。
譲渡を受け入れたとしても、その維持・改修の費用が大規模になってしまうこと、改修工事によって文化的価値が損なわれる結果に繋がる可能性がある、といった理由からJR側の判断を受け入れた模様。
解体・撤去は決定しましたが、JR東日本と連携し、三鷹市側が跨線橋の一部を譲り受け、保存や映像・画像等での記録などを通し、記憶と記録を残す取り組みをするとのことです。
解体・撤去時期はまだわかっていませんが、「跨線橋」との最後の想い出を記録しに足を運ばれてはいかがでしょうか。
■「跨線橋」解体に関する市のお知らせはコチラ
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コメント
路上駐車多いし、早く撤去してくれ
散歩の度に結構便利に使っています。
JRを跨ぐには、この跨線橋を渡るか三鷹駅よりに数百メートル行った地下通路を通るかだけど、景色も風情も断然こっち(跨線橋)なので、撤去しない事を前提にクラウドファンディングへと賛同者を募って欲しい。
小さな子供たちが大好きなところです。
同時に、60代くらいの人達は、子供の頃は、みんなここで遊び、おしゃべりをし、素敵な時間を過ごしたところです。
新しく作り変えて残ったら、どんなに嬉しいでしょう。
とてもいい所なのに悲しいです。
使いもしないオリンピック施設に毎年ムダ金を出し続けるのに、こういうものに出す金はないのか。
悲しすぎる国…